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目の前の患者さんは、動きのある生命体である(臨床家向け)


治りの悪い患者さんに遭遇し治療の方法やテクニックなどより良いものを探し模索するような経験は、医療に携わる人や治療家なら誰もが経験すると思います。

ですが日本の手技界隈では、セミナー、動画配信などにおける講義のほとんどが症状を一時的に軽減し、機能や動きが良くなるといった『テクニック』を学ぶようなものが多く、『本当にその人を治す』といった意味では程遠いものです。

 

一時的に機能的(神経や血管、運動機能の機能改善など)な改善をしようとする治療法が多いので、結局のところテクニック難民のような状態となり次々と効果ばかりを追い求めてテクニック探すようになってしまいます。治療法を探しオステオパシーに辿り着いた人が、実はたくさんいるのではないでしょうか。

 

だけれどもオステオパシーの実態がよく解らない・・・

 

『なんだか凄そうだな。』

『哲学的なことも学ぶし、なんだか怪しいのかな。』

『頭蓋が動くとか言うし信じられないし、やっぱり怪しい』

『でもアメリカでは医師だから間違いない治療法かな。』

『手技だけで色んな症状や病気が本当に治るのかな。』

『どういう原理で身体が変わるのかな。』

『やっぱりオステオパシーの世界に踏み入れるのは少し抵抗あるかも。』

 

まあ、私がオステオパシーを学ぼうと葛藤していた20歳代の心の中はこんな感じだったと思います。オステオパシーによる治療自体も何をしているのか理解が追いつかなかったので、自分で『怪しい治療』とレッテルを貼っていたのでしょうね。

 

しかし、いざその世界に踏み入れた途端、考えが一変します。

オステオパシーを学ぶ者は、自然現象や原理原則を追求します。そしてそれらを臨床に生かさなければなりません。これは医学的(解剖学、組織学、病理学、生理学など)原理や原則だけでなく、自然現象や発生の過程、物理などの原理原則も学ばなければなりません。

そう、いわゆる身体は自然現象とその環境で成り立つため、身体の内外部で起こる自然現象を理解しつつ患者さんに治療していかないと本当の治療として成立しないのです。

そしてこれがいい加減なものではなく、マニアックで妥協しない。臨床では確信して治療に臨めるのに、なぜか日本の医療従事者から身体や現象の原理原則を学ぶオステオパシーは敬遠されがちです。

 

 

それとオステオパシーを始めて、他の手技とは違っていて大きく感動したことがもう一つ。

「身体は、動きあるものである。」

 

解剖学書や画像の2Dや3Dのような静止画の動きの無いものではなく、目の前の患者さんは常に動きある生命体である。寝ていても動きがあって、それは概念や知識増やしを学ぶことによって動きをたくさん実感できるようになってくる。そしてこの動きは指標となって臨床で大きく関与してきます。

 

オステオパシーを学ぶ前は、

下図のように断面的または平面的であり身体内で動きのないものとして。または動きを捉えることなく

グレイ解剖学より抜粋

 

 

または下図のように立体的であるが、身体の中で動きなど感じることなく。

 

Sobotta 図説人体解剖学 第3版(原著第18版)より抜粋

 

もはや治療する側が、組織を押さえて硬いか柔らかいか?それくらいの指標でしかないということです。そうではなくて、私たちが治療に臨む時は、もっともっと身体には動きがあって力もあって生命あるものに触れています。

 

このように自分の知らなかった概念や知識を増やすことが、触診や臨床の場に変化が起こります。自分が学んでいることが身体や環境の自然現象の追求であるため、確信を持って臨床に臨める!だから難しい症状や症例の患者さんであったとしても、「良いことをしている。変化が起こる。」と確信を持って治療に臨めます。

 

世の中には身体の痛みや機能を一時的に戻すテクニックのような手技は無数に存在し、マーケティングも上手いので高額なセミナーがたくさん存在します。ですがそのほとんどは施術者側が自己満足するテクニック売りなので、患者さんにとっては良いことが少ないのです。売る側に責任感はない!

 

どうかこのコラム記事を読まれた方が、将来オステオパスとなって一緒に切磋琢磨する仲間が増えますように。

 

身体の動きがわかった時の瞬間は、とても素晴らしい時間ですよ。

AUTHOR この記事を書いた治療師