今日は、オステオパシーが人間の生命についてどう捉えているかという、少々哲学的なお話をします。
オステオパシー創始者である、アンドリュー・テイラー・スティル(Andrew Taylor Still)という方は元々、メディカルドクター(医師)であり、
主に19世紀のことですが、オステオパシーによって治療に従事する前は、当時の医師たちがしていることと同じように投薬や外科手術にも従事しておりました。
また、アメリカの南北戦争などにも携わり、様々な外傷に悩む人、または細菌やウィルス性の疾患を患っている人も、たくさん医師として診ていたわけです。
その、元々メディカルドクターであったスティル先生は、後に、オステオパシーの生命観として、人は、身体(BODY)、心(MIND)、精神(SPIRIT)の三位一体で生きており、その3つが相互に関係しあい、バランスが取れている時に、真の健康が実現されるということを述べる様になりました。いわば、現代でも続いている健康と病気をわかつ『鍵』に関わるテーマを、19世紀当時に打ち出していたと言えます。
今では、日本においても様々な著作などでも、病気や疾患と心の状態やストレスなどとの因果関係について日常的に取り沙汰されています。
オステオパシーでは、身体という側面では、非常に緻密に解剖学や生理学などの基礎医学を元に身体の構造と機能の異常を手により探り、構造的な異常などを改善することで身体の機能を正常化し、『自然治癒力』を引き出すことで痛みや症状を改善させるということを致します。ここにおいて、『自然治癒力』というのは、いったいなんなのでしょうか?もう、説明する必要もないくらい、当たり前に、我々人間に備わっている力だと言えます。分かりやすい例で言えば、風邪をひいて熱を出したとします。
では、なぜ、熱があがったのでしょうか?
それは、熱を上げるべき原因があったから、身体は熱を上げるという反応を致します。
ここで一つ言えることは、『熱が上がった。』という事実自体は、原因ではなく結果なのです。人体の自然は本当にうまくできていて、原因がなければ、熱が上がるという現象自体が生じません。
熱を上げるということ自体は、例えば細菌、ウィルス、局部的な炎症などが原因で、熱が上がることがあります。卑近な例を挙げれば、本当にひどい虫歯などで神経が侵されている時などにも微熱が生じますが、そうした局所的な炎症が生じた場合でも、人体は「熱を上げる」ということを致します。言わば、身体自体が『治ろう』という力を潜在的に持っており、身体の構造や機能に何らかの変調や問題が生じた時に、人体自体がそれに呼応して状態が変化するということがあります。
では、心理(mind)的な要因が原因で、身体がそれだけの変化をきたすことがあるのでしょうか?
長年、臨床を積んできて、充分あり得るということを確信しています。卑近な例ですが、病院に行って血圧を測ると、必ず高血圧という診断を受ける方がおられますが、その同じ人が自宅で血圧を測ると、正常値だったなんてこともざらにあるわけです。そうした方のことを、『白衣高血圧』なんて表現しますが、非常に身近な例ですが、それぐらい、人の身体は心理にも影響を受けます。病院で心理的に緊張してしまって、血圧がどうしても上がってしまうということも十分ありうるということです。上記の例は、分かりやすい例を挙げておりますが、視野を広げてみれば、心理的ストレスが体の機能を乱しているということが、非常に多いとも言えます。
では、精神(spirit)が要因で、身体に変調をきたすことがあるのでしょうか?
これこそ、本当に人の『健康』と深く関わっている事柄なのかもしれないと、私自身も考えています。オステオパスとして内臓領域における世界的権威、ジャン・ピエール・バラルD.O.という方がおられるのですが、バラル先生がセミナー中に紹介したエピソードが非常に印象的だったので、紹介させて頂きます。あるお婆さんがおりまして、その方がお孫さんを乗せて、自動車事故に会われました。その事故により、お婆さんは無事だったのですが、お孫さんを事故で亡くしてしまったそうです。事故の1日後に、お婆さんは重篤な糖尿病を発症したそうです・・・。糖尿病というのは、基本的には膵臓のインスリン(血糖値を下げるための人体の唯一のホルモン)を分泌する器官である膵臓の機能がうまく働かなくなったことに大まかに言えば起因するのですが、お婆さんは、事故の前には膵臓の機能には全く異常がなかったのに、お孫さんを自分が死なせてしまったという交通事故後、膵臓の機能に異常をきたし、重篤な糖尿病を発症したということです。
オステオパシーでも、東洋医学などでも、内臓の諸器官は人の感情や精神と深いつながりをもっていると言われています。特に膵臓は、人の責任感や『霊性』などと深い関係があると言われています。心(mind)と精神(spirit)の違いというと難しい話になりますが、どうも、人というのは、物質的な身体(body)を持ちながらも、同時に心があり、ひいては、精神的な営みと同居しながら、生きていると言わざるを得ない事例が、多々ございます。
極端な例を出しましたが、オステオパシーの哲学としてスティル先生が述べた、『人は、身体(BODY)、心(MIND)、精神(SPIRIT)の三位一体で生きている』ということは、どうも、現実に即していると、長年の臨床経験から感じ入ることであります。また、興味深いのは、こうした生命観は、オステオパシーだけではなく、ネイティブアメリカンの思想、チベット医学などにも、共通して見られる生命観であり、その教え自体の発祥が遠く離れた地域でありながら、同じ様な生命観を共有しているということも考えさせられることだと思います。ちなみに、オステオパシー創始者のスティル先生は元々西洋医学の医師でありますが、純粋に医学の道を模索する過程で、ネイティブアメリカンのシャーマンとも深い交流があったようです。
オステオパシーでは基礎医学的な知識を大切にしながらも、あくまでも、人を身体と心と精神の三位一体で生きている生命(LIFE)と捉えて、施術を致します。もちろん、身体の構造的異常があればそれを緩解させることを考えますし、症状や疾病の背後に潜む心理的ジレンマや精神的困窮も視野にいれて施術を致します。詳細については言葉では説明できないことも多々ございますが、少しでもオステオパシーについて理解してくださる方がおられれば、幸いです。
最後に、私が尊敬するオステオパスである、フィリップ・ドゥリュエルD.O.の言葉を紹介させて頂きます。
『人は、意識的にも、無意識的にも、自分が信じている生き方と違う生き方をしていると、健康を害する。』
もちろん、病気になる要因は、食べ物、事故、細菌などの物理的な要因が関わっていることも当然ございますが、それだけでは割り切れないのが『人』という深遠な存在の現実なのだと、私自身は、思っております。
オステオパシーを実践する者は、あくまで、身体、心、精神で生きている『人』の生命自体に対峙して、お力添えすることを目指します。
MORE COLUMNS このカテゴリのコラム
-
オステオパシーサーチについて
2017.01.09
-
「祈り」 非物質的な力との繋がり
2018.10.01
-
患者Kさんからのお礼のお手紙
2024.08.16
-
施術事例紹介 〜頭痛、倦怠感、肌荒れ〜
2024.07.09
-
喜びの声
2018.01.04
-
不調を整える:3つの方法とその順序
2016.02.27
-
ツーマンオステオパシー
2018.01.09
-
身体の循環について
2018.01.04
-
変形性股関節症の保存療法でオステオパシーが貢献できる3つの理由
2017.06.10
-
スポーツ障害におけるオステオパシー
2024.08.10