2016年6月、私は初めて海外(カナダ・モントリオール)で、SymposiumとPhilippe Druelle,D.Oのセミナーを受講する事になり、その内容に側脳室のテクニックがあると聞き焦っていました。
当時の私は、所属しているフルクラムのスタディが始まって間もない駆け出しの時で、まだ実践的に使っていなかったからです。
その頃、松岡ツルエさんというおばあさんの往診を毎日していました。そのおばあさんとは20年来の付き合いで、僕がほねつぎの修行時代からの知り合いでした。なので、私は「まっちゃん、まっちゃん」と呼んでいました。
当時のまっちゃんの状態は、胃カメラの失敗で緊急手術となり、その時の全身麻酔の影響か容体が悪化してしまいました(今思えば、認知症になりかけていた)。 その上、転倒し硬膜外出血で入院してしまい、退院してきた時には少し意識はあるものの会話が出来ない状態になっていました。
丁度、モントリオールへ行く3か月ほど前の話です。 家族の人達ももう諦めていた感じでしたが、僕はどうしても良くなって欲しいと純粋に思っていました。
それから月曜から土曜まで毎日、側脳室のテクニックをしようと直感的に思いました。
ただただ我武者羅に側脳室のテクニックに忠実に、純粋に良くなって欲しいという思いで3か月間施術し、6月にモントリオールへ行きました。
無事に帰国し、またまっちゃんの所へ往診に行き始めました。
まっちゃんは相変わらず寝たままで、僕が行った時に「まっちゃん来たで!」の声に軽く反応する程度です。
それから約一か月間、側脳室のテクニックをまっちゃんに施し続けていたある日のことです。
いつものようにまっちゃんの所に行くと、まず仏壇にろうそくと線香を立てます。私はそれが消えるまで治療をすると決めていました。
施術の流れ的には最初に膝を曲げ伸ばしし、腰を曲げた後に、側脳室のテクニックをするのですが、膝を曲げ伸ばししている時に「先生、もっと優しくして」と声が聞こえてきました。
一瞬仏壇を見て私は「誰?」と周りを見渡します。すると、まっちゃんが優しく微笑んで、「先生、もっと優しくして!」と言うのです。
当時を振り返ってみると、確かに最初の触診(評価)の時の感触は脳の萎縮が凄くある感触だったのですが、モントリオールへ行くころには、脳の萎縮がなくなった感触と共に、側脳室が躍っているように感じていました。
私はまっちゃんに「いつからどんな感じやった?」と聞くと、随分前から意識は戻り解かっていたけれど、言葉に出すのに(しゃべるのに)、何か混線していて昨日くらいから繋がった感じだと話してくれました。
少し優しくなったまっちゃんが帰ってきてくれました。その奇跡的な出来事に家族の人達は泣いて感謝してくれていました。
今思うと、「奇跡」と思われることも、信じているものが間違いでなければ、テクニックや知識は大切ですが、ただただ我武者羅に、純粋に、一生懸命その人の事を思い、信じているものをやり続ける事で、奇跡は必然に変わるのだと学ばせてもらった出来事でした。
それから半年くらい経ち、まっちゃんは優しい微笑みのまま、あの世へ逝きました。
その日も治療して「まっちゃん、又明日来るわ。」「頼むで。」の会話が最後でした。
次の日も同じように、まっちゃんの所へ行き、ろうそくと線香を立て、「ありがとう」とお別れをしてきました。
今でも施術する際は、まっちゃんの事を思い出し、あの時の一生懸命さや純粋さを心に刻み、日々の治療に励んでいます。
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