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ロバート・リバー インタビュー


 


J
: 今朝はここでロバート・リバーさんのインタビューです。
  ぼくはジェスラムで、ロバートの仲間です。
 

  彼にインタビューするのは、この本。

 「めぐる世界の静止点、オステオパシーの芸術と哲学」

  これは、ぼくの意見だともっともっと早く出されるべきで、どのオステオ
  パスにも読まれるべき本。なぜなら、その理由が質問の中に出てくると
  いいんだけど。
  ロバートにきいてみよう。

  ロバートと僕は長いこと一緒にやってきたから、僕はロバートのアプロー
  チがわかるんだ。彼がぼくのをわかっているのと同じく。んで、この本は
  ずっと待たれてた。もう余計なことはこのぐらいにして、ロバート、
  なんでまたこの本?


0”46
R: 君が言う通り、オステオパシーの本は、いくつもあるんだけど、これは
  わざと教本やハウツー本にはしなかった。

  とても個人的な振り返りや見方であって、だいぶ、まあ私の見方だけど
  大事だけど、だいぶ無視されてきたことについて書いたんだ。

  私はあえて、この本をオステオパシーの芸術と哲学と呼んだ。


  それも発展してきている科学の領域とバランスをとるためなんだ。
  科学はうまいこと根拠を示してくれる。
  我々がやることをうんと効率よく。

  でも、はっきりさせようとしたのは、オステオパスとして生きるには、
  他の局面があるってこと。そして、それは態度、腕を磨くこと、
  それから人生の幅広い問題に全体的に向き合うってこと。
  それって、施術するときに、えらい違いを生み出すと思うんだ。

 

  だから、私の見方は、うんと変わってる。論争を巻き起こすかもしれない、
  決まった見方でもない。

  でも、人々が実際に考える刺激にしたいんだ。アートとしての施術に
  対する自分のアプローチという点から。そして、それが基本的に僕が
  やりたかったこと。


  専門職としてのオステオパシーも、危機にあって、歴史の中ではこれまでも
  よくあったんだけど、それによって、オステオパシーが取り扱う範囲を規定
  し損ねたと思う。何をするべきかを決めるのにこれまでもずっと問題が
  あったんだ

 

  感じてたんだけど、ずいぶんオステオパシーの施術には、迷信や誤解が
  付きまとってる。
  ぼくは、そのうちのいくらかでもスッキリさせたかった。
  できたら、何らかの塗り薬を作り出して、ばらばらな態度をとっている
  人たちが少しでも歩み寄るのに役立てられたらいいと思う。


2”46
J
: ありがとう。
  ずいぶん個別化したアプローチだね。というのも、ほとんどのオステオ
  パシー関連本は、学術的な見解か歴史の報告でしょ。
  でもこれは、本当に個別化した本だよね。
  またどうして?

 

R: この本の出だしは、より概要に近いんだ。
  願わくば、比較的正確で、ある程度客観的だといいな。

  でも、君の質問に答えるためには、もっともっと我々のやってることを
  ちゃんと自分のものにする必要があると思ってる。


  ぼくたちみんな、同じ原理やテクなんかを学ぶんだけど、もちろん、中には
  お気に入りの技とかアプローチがある。


  でも、結局ぼくたちは、アートを自分のものにして初めて、えり好みの
  向こうにえていけるんだ。
  そして、オステオパスとしての自分の在り方を見つける。言ってみれば、
  仮免を投げ捨てた時に、本当に自分らしい香りをそえることができるん
  だね。


  思うんだけど、これだ!っていう施術法なんて、ないんだよ。
  大事なのは、どんな問題にもまっとうなアプローチはあるってことを深く
  肝に銘じることだ。


  重きを置きたいのは、個別の見方。
  私の見方も絶対ではない。
  問題なのは、個別化アプローチにも遊びがあるかどうかで、もし、僕の本が
  そうだとしたら

  ちょっとした論争とか議論を呼ぶ。
  その道の途中で、この業界は言い争いとか論争に慣れっこだ。
  でも、ときどき、論争が好ましい実を結ぶこともあるだろ。


4”38
J
: この本の中で、エビデンスベースのオステオパシーをすごく強調してる
  よね。
  それって、この頃、合言葉みたいになってきたけど、明らかに反対して
  いるね。
  その辺はどう?

 

R: 反対しながらも、何も別にエビデンスの必要性を馬鹿にしているわけじゃ
  ないんだ。
  我々の仕事を考えるとき、理性的な戦略の必要性を得ようとしているわけ
  でもない。何も直感的なアプローチを全面的に当てにできるなんて、
  一瞬たりとも示唆してないんだ。
  でも、問題はどんなホリスティック医療でも、ひどく難しいことになっ
  ちゃってるんだ。

  エビデンスベースの研究アプローチを自分なりにできる方法で合わせる
  のが。
  例えばさあ、アロパシー医療を試してるとき。
  投薬とか外科的手法みたいな。


  ぼくがある外科的手法といったのは、個人的には、手術だって標準化された
  製品じゃないと思ってるから。この本でもたびたびふれられているけど、
  できる医者とすばらしい医者には違いがあって、それが何なのかじっくり
  考えてみると面白いんだよ。


  僕が本当に言いたいことは、ものごとにお決まりのアプローチなんてない
  ってこと。
  本当に注目してる事実はね、アプローチはいろいろあるってこと。
  そして、なんでかって言うと、患者さんひとりひとりは、ある問題のその人
  バージョンを携えてやってくるから。


  そして、それぞれのオステオパスが、その特定の問題に自分のアプローチを
  する。(一期一会なんだ)
  難しいのは、

  エビデンスベースの研究計画書を培うことと、ほんとうにいつも我々が
  やっていることをエビデンスベースにしようとするたび、誤解を生む結果
  になってるってことを言ってるんだ。


  この本にも何回も書いたんだけど、それって、ゴルフスイングの効率性を
  評価するのに似ているんだ。そりゃ調べられるよ。
  でも、スイングって人によってはうまい下手があるから、覚えておかな
  ければいけないのは、スキルが入ってくると俄然難しくなるんだよね。
  純粋にエビデンスベースでみることが。
  あの、アロパシー医学の無作為臨床試験のように。


J: ありがとう。
  歴代のオステオパスの中でも、この本で際立っている名前があるんだ。

  ぼくらの恩師のトムダマーだ。
  もう亡くなって何年も経ったけど。
  つくづく、彼には大きな影響を受けたね。

  君はどうだい?


R: そう、トムはずば抜けた人だった。彼は僕にものすごい影響を与えたよ。
  師への献評の中にも書いたけど。何年も一緒にやってきた。
  実に抜群の人。だってね、いつまででも話してられるの。
  音楽でも、食べ物でも、なんでも。

  オステオパシーらしく彼がしたことはまさにアートで、そのいくばくかは
  乗り移ってくるんだよ。それって尋常じゃないけど、本当にそうなったんだ。


  そのおかげで、私も悟ったんだ。本の中にも書いた通り、どれほど自分が
  人としてどうあるかってことが関わるかということを。
  例えば、患者さんのプログラムを組む時や自分のクリニックでの在り方に。

  そして、トムはすばらしい例だった。彼は仏の道を実践していた。(★?)
  だから、哲学的な考えも

  僕に乗り移ってるんだよ。

  そして、それらが我々がしていることの精神的側面として、本に書いたことに
  とても役立ったんだ。
  彼は、並外れた手を持っていた。
  とてつもない技術を持っていて、彼の手と技は特質に値する。
  トム自身、彼の仕事を観察することから、人は言葉で説明するのが難しい
  と
わかっている技能の部分を伸ばせうる。


  でも、どうにか彼から学べるんだよ、まるで、弟子が見習いするとき
  みたいに。そして、彼はほとんどの部分を言葉を使わずになんとか伝え
  るんだ。

  それは、よく技とかオステオパスとしての在り方が言葉を使わない部分で、
  そこがのちのち、膨大な価値を生むんだ。だからそう、僕は、ものすごく
  重点と価値を置いているんだ。


  トムを知ってもらうことと長いこと彼とともにやってきたってことに。
  私の知る限り、君にも当てはまるんだけど。我々が教えるにあたって、
  前に進めることができた多くのものは、大いに土台を置いている。
  30、40年前に、トムから学んだことに。

7”08
J
: いや、ロバート、本当にありがとう。
  僕は、この本のことを学校の同窓会誌ESOに書いたんだ。

  成功を祈ってるよ。
  この本は、すべてのオステオパスに読まれるのに値する。
  なぜって、こんな風に書かれているのは、よそには見たことがないんだ。

  大成功を祈るよ。


R:ありがとう。ジェス。こりゃこりゃ、いやどうも。

AUTHOR この記事を書いた治療師